バイオリンのはなし

拍を刻む

練習を始めてから早くも1か月がたった.短いようで長い1か月である.身体の使い方,感じ方が刻々と変わっていくので,その時々でメモを残さないとその時点での状態を正しく記録できない感じがする.

5月に入って「楽譜を見て弾いてみましょう」ということで,バイオリン教本を見ながら弾く練習が始まった.右手の動きが比較的わかりやすいD線を使って,四分音符や二分音符を先生の合図かメトロノームに合わせて刻む練習である.ここでの要点は,拍にあわせて弓の動きを反転させるところにある.あるタイミングで弓の動きを変えるには,その前にその準備をしておく必要がある.その準備の手がかりになるのが拍の裏(1ト2トのトの部分)である.トの部分で準備をして次の拍で正確に音を変えなくてはいけない.これが難しいのだが,その一方で,逆に手助けになる効果もある.

一つは,動きのリズムを考えることで弓の動かし方が(言葉はよくないが)計画的,予測的になることである.それまでは自分のペースで弓を動かしていたのだが,これからはメトロノームのペースにあわせないといけないので,次にどうするかを先回りして準備するようになる.これによって,動きの捉え方が時間的に大域的になり,視野が広がる感じがするのである.

もう一つは楽譜を見ながら弾くことで,やはり視野が広がることである.身体の特定の部分に注意が向きすぎてしまうと全体がどうなっているかを見失って,身体全体のバランスを失ってしまうことがよくある.例えば,弓の動きばかりを気にしていると気づかぬうちに姿勢が猫背になってしまったりということである.楽譜を前におくと自ずと視野が広がるので,やはり身体全体や音の飛び方などにも注意が広がることになる.

最初の練習のときに,先生から「譜面台の方を向いてそれが視野に入るようにして弾いてください」というような趣旨のこと(記憶があやふやになっている)がぼんやりと記憶に残っている.というのも,そのときはその意味の重要性がよくわかっておらず,「どうしてそのような(一見)当然のことをわざわざおっしゃるのだろう」と思った記憶があるからである.でも,以上のようなことを考えれば,楽器の演奏中は,視野を広くもっていろいろなところに注意を幅広く向けていなくてはならないという意味でおっしゃったのだろうと今になって思う次第である.

休符

「休符をやってみましょう」ということで,同じ音,または違う音を休符をはさんで繰り返.して弾くときのやり方を教わった.基本的には,「まず音を鳴らし,休符の位置で弓を弦から離して,その裏拍でもとの位置にもどし,次の拍の頭で再び音を鳴らす」という動作を繰り返す.これがまた難しい.

最初は弓を同じ位置までもどすことや弓をもどすリズムはいくらか繰り返すことで何とかなるのであるが,「弓を右手で持ち上げる」ことが難しいのである.右手の動かし方でも書いたが,右手をいかに脱力するかがポイントである.弓を弦の上においているときは弓の重みの大半を弦に預けているのであるが,弓を持ち上げると弓の重みはすべて右手で支えることになる.このときに,右手で弓を動きをコントロールしようとすると右手に力が入り,脱力が崩れてしまう.現在,どうすればよいのか格闘しているところである.

休符のその後

この記事を書き始めてから1か月たって(6月下旬)この項目を加筆しているところである.上に書いたような力の感覚は次第に薄れていって,いまではだいぶん楽に弓を戻せるようになっている.ただし,楽に感じられるのと,本当に力が抜けているのは別である.というのも,4分音符と4分休符を繰り返すような場面では,繰り返すたびに次第に手に力が入っていく(緊張が蓄積されているような感じ)ようで,このようなときはいったん右手を休めてやらないといけない.

こういうことが起きないようにするためには,休符の後に弓を弦の上に載せたときに,意識的に脱力するのがよいような気がする.つまり,4分音符と4分休符の繰り返しを惰性的に(よい言葉がないのだが,惰性的という言葉は適切ではなくてどんどん前に進んでいくという感じで)繰り返すのではなくて,休符のあとに新しい4分音符を弾くたびに,第1音を弾くときと同様に,新しい気持ちで弾くということである.こうすると,音の鳴らすたびに初期状態から弾き始めることができるので,上に書いたような「緊張の蓄積」が起きにくいような気がする.