#author("2017-12-19T19:26:12+09:00","default:admin","admin")
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*ピアノのはなし
ピアノについてこのようなメモを残すことは当初は想定していなかったのであるが,ヴァイオリンと並行してピアノの練習も続けている.といっても,ピアノに向かうのは週に高々1時間程度であるし,先生について習っているわけでもないので,「そんなもの,練習とは呼べない」といわれても反論できるものではない.

ピアノを習った経験がある人は,ヴァイオリンを習った経験のある人に比べるとはるかに人数が多く,脳研究者の中にもコンクール入賞クラスの腕前をもった方が少なからずいらっしゃる.そういった上級者の方々と比べると私の腕前は恥ずかしい限りであるが,それでもおそらく「中級者」と呼べる程度のスキルはあるだろうと思っている.

ちなみに,自分は(おそらく)5歳のときに先生について習い始め,小学校4年生でやめたので,先生についてピアノを習っていたのは6年間だけである.この6年間という時間は長いようで短い(というのも,私がヴァイオリンを習い始めてから(平成30年の時点で)すでに6年たってしまっている).バイエルから始めて,チェルニーの100番,30番を終え,40番をあと数曲残したところまで進んだ.ブルクミューラーも弾いたし,ソナチネも1番,4番などのほか,モーツァルト(14番)やベートーヴェン(15番)の作品も弾いた記憶がある.最後の発表会ではショパンの夜想曲(作品9-2)を弾かせてもらい,やめる直前に弾いていたのはウェーバーの「舞踏への招待」だったと思う.今から思えばなんとも中途半端なレベルで,あと数年続けて手が大きくなる中学生のあいだに上級者向けの曲まで弾けるようになっていれば,ピアノ演奏技能に対する理解もいまとはずいぶん違っていただろうと思う.ただ,4年生のときは,ピアノよりもほかに面白いことがあったようである.

ただ,先生について習うのを止めたあともピアノに向かうことがあり,それなりに指も動いていたので,ある程度のスキルは維持できていたようである.ただ,弾くといっても譜面通りに弾くだけのことで,じっくりと曲を仕上げるような完成度を高める練習はまったくしていなかった.それだけに,音の微妙なコントロールについてはほとんどスキルがないといってよい.

最近になって,演奏家として活動しているピアニストや教員の方々とお話しする機会が増えて,ピアノのスキルについていろいろと教えていただくと,それを試したくなって新しい曲に挑戦したり,鍵盤の叩き方について試行錯誤したりしたくなってくる.一方で,ピアニストの方々と話していて,自分がまったく理解できないことがたくさんあることに気づかされる(例えば,ピアノの個体の違いを吸収することや,音のコントロール方法,ソステヌートべダルの遣い方など).

ピアニストのいっていることを自分自身で理解できるようになるには,やはり自分がそれらの感覚を実感できる程度に上達することが不可欠である.このようなこともあって,最近は,一時期に比べてピアノに向かう時間が長くなってきた.楽器に向かう際の問題意識がはっきりしてくれば,その分だけ新しい気づきが生まれてくる.そして,(たとえ週に1時間しか弾かなくても)少しずつ技能も上達しているように思える.

面白いことに,上級レベルの人は「弾けるのが当たり前」なので,私のような中級者が感じる「ここがうまく弾けないのはなぜだろう」「どうしたらうまく弾けるようになるのだろう」という問題意識が生じないようである.つまり,「何も考えなくてもできてしまう」か,(頭で考えない)幼少期に基本動作を身に着けてしまっているので,動作のプロセスを具体的に考えることが少ないようである.このように考えると,上級者の先生方よりも,私のような中級者の方が「ピアノ演奏のメカニズム」や「ピアノ演奏習得のためのヒント」を考えるには適しているのかもしれない.

そのようなことを考える中でのさまざまな気づきについて,少しずつメモを残しておきたい.

*項目
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-[[視野と注意>jPiano/Q001]]
-[[ピアノ演奏技能の本質>jPiano/Q002]]
-[[ピアノの個体差>jPiano/Q003]]
-[[ピアノ演奏の指導書>jPiano/Q004]]
-[[ピアノ曲の記憶>jPiano/Q005]]

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